毎回サイダーやクラフトビールに関わるゲストを迎えて、日本における黎明期とも言える「サイダーカルチャーの現在地と未来」を探るインタビュー・プロジェクト。第六弾は、『世嬉の一酒造』の代表を務める佐藤航さんをお迎えしました。『世嬉の一酒造』は、岩手県一関市で1918年に創業され、現在では日本酒造りだけでなく、クラフトビールやシードルを醸造する『いわて蔵ビール』、郷土料理を提供する『蔵元レストラン せきのいち』の運営など、幅広く事業を展開しています。今回のインタビューでは、シードルやクラフトビールを中心に醸造に対する考え方や、土地への想い、まちの在り方など、幅広くお話をお聞きしました。

S : 佐藤 航 (代表取締役社長 / 世嬉の一酒造 )
H : 星 洋治 (オーナー / Green Neighbors Hard Cider)
O : 及川 貴史 (サイダーメイカー / Green Neighbors Hard Cider)



醸造は科学と創造性
常に挑戦する姿勢を忘れない

O:私たち『Green Neighbors Hard Cider』が醸造するハードサイダーは、国内ではまだ知名度が低く、いわゆる黎明期にあたると考えています。『世嬉の一酒造』さんは、クラフトビールがまだ黎明期であった1997年に『いわて蔵ビール』としてクラフトビールをリリースされている訳ですが、どのようにしてファンを増やしていったのでしょうか?

S:クラフトビールを造り始めた当初は、まだ誰もファンがいませんでしたので、「いわて蔵ビールの会」を盛岡、仙台で3年間行なっていました。その頃の飲食店はどこもビールサーバーを持っていなかったので、簡易サーバーを持参して8種類くらいを飲み比べをしてもらいましたね。この会はずっと赤字でした。いわゆる地ビール時代の試飲会で、少しずつファンが増えてきて、何とかやってこれたという印象です。

O:地ビール時代はやはり大変でしたか?

S:地ビールに対して皆さんが持つ「くさい・高い・不味い」という悪い印象を払拭するところからスタートしました。それが10年くらいかかり、後半10年で売上が伸びていきました。


O:まだ知名度が低いもので、その後、評価が変わったものとしてどのようなものがありますか?

S:「三陸広田湾産牡蠣のスタウト (オイスタースタウト) 」は、造り始めた時はキワモノビールと言われました。それがいつの間にかワールドビアカップで優勝し、今では8カ国で売られるようになっています。また、「ジャパニーズエール山椒」もいわゆるお土産ビールと呼ばれていましたが、今では10カ国以上で販売されています。続けていくうちに私たちが本気でビールを造っていることを皆さんが理解してくれたのだと思います。

O:りんごのアルコールと聞くと国内ではやはりシードルのイメージが強いので、どうやって認知してもらうかが現在の私たちの課題です。佐藤社長はシードルについてどのような印象を持っていますか?

S:ワイナリーさんがリリースするシードルは少し硫黄臭が強いものが多いという印象があります。少し発酵不順を起こしているというか。蒸留と異なり、醸造は1ヶ月後には完成してしまうので科学と想像力が必要だと私は思っているのですが、その科学の部分は、和食屋さんなどの他分野の技術を醸造にどう当てはめていくかが大事です。


O:醸造する上で大切にしていることは何ですか?

S:私が醸造を勉強した『常陸野ネストビール』に当時在籍していた高さんに言われて大事にしていることが二つあります。
一つ目は「醸造は科学と創造性」だということ。醸造をする上で何でも入れて良い訳ではなく、基本的な科学は理解していなければならない。勿論、それだけでは足りなくて、ウイスキーや日本酒、あるいはコーヒーやアートなど、他分野の知識を掛け合わせることが必要です。
二つ目は「常に挑戦しなければいけない」ということ。国内の大手である『KIRIN』や『ASAHI』は100年企業、ヨーロッパでは何世紀も経営している酒造会社もあります。それに比べると、私たちはまだまだ赤ん坊なのだから挑戦する姿勢を忘れてはいけない、と教えられました。始めてから20年経った今でもずっと挑戦しているのはこの言葉があるからです。


O:佐藤社長は幼い頃から酒造という営みが近くにあった訳ですが、その頃はどのような印象を持っていましたか?

S:私の父は祖父から勘当されたようなもので、父は自動車学校を経営し、祖父が日本酒の酒造をしていました。そうした状況もあって、幼い頃の私はずっと自動車学校の先生になるのだと思っていました。しかし、祖父が脳溢血で亡くなり、酒蔵としての経営が成り立たなくなってきていた時、一度は建物を壊して駐車場になる案が出たものの、父が二つあった自動車学校の一つを売却し、酒蔵の再投資に充てて、共同醸造を始めました。だから私の家が造り酒屋であることを知ったのは高校生くらいの時で、正直、その当時は実感がありませんでした。その後、東京で環境微生物学を勉強して、それから海外に留学し、オーストラリアをヒッチハイクで横断したりしていましたが、興味はずっと右往左往していた感覚があります。

O:ご祖父様が亡くなられた後、共同醸造という形にして、日本酒の醸造自体は外にお願いしたのですか?

S:はい、そうです。明確には覚えていませんが、私が中学校の頃には酒蔵としては衰退していたと思います。一度は蔵を壊して、駐車場にするという話題も出ていたそうですので。しかし、今年には日本酒の醸造場を『世嬉の一』の敷地内に作り、40年ぶりにこの場所でも醸造を再開する予定です。




発酵に携わる技術者としての楽しみは
発酵によって新たな味が生み出されること

O:『いわて蔵ビール』でシードルを造り始めたのはいつ頃からでしょうか?

S:3~4年くらい前のことです。契機は、りんご農家の若い方が、生食以外で何か作れないだろうか、と模索していたことから始まりました。しかし、最初はりんごサイダーとして作る方法を探していたので、清涼飲料水製造業免許を取得して、微発泡のサイダーを作りました。その残りが時間の経過と共に自然発酵をしていて、試しに飲んでみたら意外にも美味しくなっていたのを発見したのです。これは面白いと思い、農協に行き、りんご 3t くらいを購入して本格的にシードル造りを始めました。

O:りんごは生食用ですか? 加工用のものですか?

S:傷物のりんごです。ただ、私たちが農協で見たものは、どこに傷が付いているか分かりませんでした。聞くところによると、小さな傷が市場に行くまでに大きくなって売れなくなるそうです。そのようなりんごを毎年 3t くらい購入して、搾汁を行っています。


O:りんごを使ったクラフトビールは元々造っていたのですか?

S:東日本大震災の後、陸前高田の米崎りんごを使ってビールを造ってほしいという依頼を受けました。それから、地元のりんごを使用したビールで町おこしをしたいという若者に協力する形で、約8年間くらい造っていたと思います。ちなみに、その後、その依頼主は独立して陸前高田にある『CAMOCY』という「醸し」をテーマにした発酵パークでビールを造っています。

O:りんごのお酒を造り続けて、どのあたりに面白みを感じますか?

S:ビールで使用する麦芽は乾燥していますし、輸入品ということもあって品質が安定しています。それに比べると、りんごは年によって品質がかなり違う。その品質の違いをどのように工夫して整えていくのか、ということが面白いですね。ただ、クラフトビールは1ヶ月に20回は造りますが、シードルは基本的に年に1回しか造らないので、技術がなかなか上がりにくいかもしれません。

O:今後も引き続き造っていく予定ですか?

S:そうですね。農協と一緒に地元の食材を使用したクラフトビールを今後も色々展開していこう、と話し合っています。


O:りんご以外だと、例えばどのような食材を使用するのですか?

S:トマトですね。通常、一関市で完熟してしまったトマトは大田青果市場に行くのですが、スーパーに並ぶ頃には熟し過ぎてしまい、最終的には加工品になります。そうなる前に農協で完熟したトマトを貯めてもらい、それらを私たちが買い取ってクラフトビールにしていく流れです。

H:そのようなトマトが本当は美味しい 笑。

S:そうなんです 笑。そのまま生食としても美味しいし、発酵しても生食とは異なる味になって美味しい。酵母が糖分を分解し、二酸化炭素と香り成分を出してくれるので、糖分では分からなかったトマトの美味しさが新たに現れます。発酵させたものは生ジュースとも違う良さがあるのではないかと思っています。

O:フルーツビールを造る際、気をつけていることはありますか?

S:フルーツビールを造る時、発酵させずにフレーバーとして足すという方法もありますが、家で果物を足したものとあまり変わらないということもあり、私たちは必ず発酵させます。発酵させることによって新たな味が生み出される。そこが発酵に携わる技術者としては楽しいところです。




造り方やアプローチはワイナリー
カルチャーはブルワリーに近いハードサイダー

S:及川さんとの出会いはクラフトビールを通じてですが、いつから造りたいものがハードサイダーに転向したのですか?

O:佐藤社長と私の最初の出会いは、私が盛岡で営んでいたクラフトビール専門店『HOPPERS』の時でしたね。あの時から、いつかビールを造りたいとお伝えしていましたが、様々な要因からハードサイダーへと向かって行きました。

H:そもそも、私が経営する『くらしすた不動産』で、「ブルーパブをテナントとして入れたいのだけれども誰かいないか」と相談したのが佐藤くんで、その際に及川さんを紹介してもらいましたね。結局、その時はテナントとして入ってもらえませんでしたが、それを契機に、『HOPPERS』に飲みに行くようになって、及川さんから「いつかは造り手になりたい」という話を聴いていました。それを受けて、どうせ造るなら私たちが暮らす紫波町に引っ張ってきたいという想いが芽生えてきました 笑。

S:でも当初はビールだったのではないのですか?

O:そうです。紫波町の小麦を使用してクラフトビールを造って欲しいと言われました。

H:急にハードサイダーを造りたいと言われて、かなり驚きましたよ 笑。


O:造るという道を切り開いていくにあたって、腹を括らないと前に進めないという想いがありました。勿論、クラフトビールは大好きなのですが、これからお酒を造ることを生業にしていくのに原材料を輸入に頼っているサイクルがどうしても腑に落ちなかったのです。造り手になるのであれば理に適うもの、地のもので造りたい、とそう思ったのです。
そのようなことを考えている時、ちょうど『HOPPERS』でアメリカから輸入されたハードサイダーを提供し、興味を持ち始めていました。そして、星さんたちが暮らす岩手県紫波町を調べたら、りんごの生産地としても有名であることを知り、それならハードサイダーが適していると考えたのです。クラフトビールとハードサイダーの世界観が近しいことも大きな後押しになりました。

S:紫波町であれば葡萄、つまりワインという路線もありますが、それでもハードサイダーに至ったのですね?

O:やはりオープンに皆で飲めるパブが好きなんですよ。実を言うと、僕が最初にクラフトビールの持つオープンマインドの世界観に触れたのは佐藤社長なのです。

S:恐縮です 笑。


O:『HOPPERS』をオープンさせた当初は、まだブルワリーさんとの繋がりが今ほど整備されていない時期で、私一人では開拓が難しい状況でした。ですから、「ブルワリーを紹介してください」とご相談をした時、快諾していただき本当に感謝しています。佐藤社長のご協力を得て、ようやく取引させてもらえるようになりました。

S:確かにクラフトビールやハードサイダーの良さはオープンマインドの精神があることかもしれませんね。お客様である、高齢のマラソンランナーの方にこのように言われたことがあります。「マラソンをやってるとスピードは全然若い人に対抗できないのだけれども、飲み会になると年上だからと言う理由で変にヨイショされてしまう。けれども、クラフトビールのコミュニティだと性別、年齢、職業関係なくフラットに楽しめる」と。やはり、フランクな飲み物はいいですよね 笑。

O:性別、年齢、職業問わず、パブに来て飲み始めると、そうしたものは一切関係なくなります。そこでの立ち振る舞いが全てです。私はその関係性がとても好きで、そのような空間を提供したいと思っています。


H:『HOPPERS』のお客さんはまさにそのような感じでしたね。隣人が何をしてるのかわからないけれども、楽しい空間を共にしている。クラフトビールを楽しむということが唯一の接点で、不思議だけれども心地よい空間だと感じました。

S:そう考えるとハードサイダーは飲みやすいからいいですね。勿論、知名度はまだないかもしれませんが、可能性を感じる分野だと思います。畑から作っていくからワイナリーにも近いし、カルチャーとしてはブルワリーにも近い。面白いところに目をつけましたね。

O:確かに、ハードサイダーは原料が果実なので、造り方やアプローチはワインに近いのですが、カルチャー的にはクラフトビールに近いのが面白いですよね。伝統的なものも勿論素晴らしいですけれども、ハードサイダーはそもそも束縛がなく自由なものなので、様々な原料を入れたり、ホップを使ったりする中でジャパニーズスタイル、あるいは紫波スタイルを創っていけたらと思っています。この先、何十年かかるか分かりませんが 笑。




建物をどのように使用するかによって
そのまちの空気感や価値が変わる

O:佐藤社長と星さんは高校の同級生とのことですが、『くらしすた不動産』を営む星さんが酒造会社のオーナーにもなると聞いて、佐藤社長はどう思われましたか?

S:以前からやりたいのだろうなという想いは伝わっていました 笑。けれどもクラフトビールではなく、ハードサイダーを選択したのは良いことだと思っています。
1997年から始めた、私たちのクラフトビール事業『いわて蔵ビール』の成長曲線を見ていくと、2010年くらいから伸びて、2018年ぐらいに出荷量のピークを迎えます。その後、私たちがタップマルシェを始めたり、輸出を始めたタイミングでまた伸びてはいますが、同じような小規模のブルワリーが増えてきて、その結果、必然的に出荷量自体は減ってきています。お客さんの伸びよりも供給量が増えているのです。アルコールは大体10年間ごとにブームが来るのですが、クラフトビールのその10年間は終わりに近づいてきているのだと感じています。勿論、終わりだからゼロになるわけではありませんが、ワインブームや焼酎ブームの時のようにクラフトビールにも潮目があると思いながらやっています。
お酒が好きということはあるとは思いますが、星くんはどうして仕事として醸造所をつくろうと思ったのですか?

H:不動産屋を経営していて、常々感じているのは、土地や建物それ自体にはそもそもあまり価値がないということです。そこに人がいなければ不動産にはほとんど価値がなくて、建物をどのような人がどのような想いで使用するかが価値へと繋がっていく。それによってそのまちの空気感ががらりと変わってくる。産業が増えて、人々の暮らしが豊かであることが、私たち不動産業界にとっても嬉しいことなので、醸造所はそうした挑戦の一環でもあります。


S:2022年春にオープンと聞きました。醸造所はどのような感じになるのですか?

H:岩手県紫波町の紫波町役場旧庁舎跡地にサウナを中心とした温浴施設『ひづめゆ』を建設するのですが、そこに併設する形でオープンする予定です。

S:不動産業だけでなく、産業育成もやっていくのですね。確かに昔であれば建物をつくって、飲食店を揃えると人が来るということがありましたが、最近ではどこも似たり寄ったりになってきて、しっかりとしたコンテンツがなければ人がなかなか来なくなりましたね。

H:それと同時にどのように発信するかも重要だと感じています。私たち『くらしすた不動産』が運営する『kurumi apartment』という複合施設では、勿論テナントさんが頑張っているということもありますが、私たちのスタッフが月1回、ファーマーズマーケットというマルシェイベントを農家さんと開催するようになり、そのイベントを契機にしてお店を知ってもらったり、飲食店と農家さんの繋がりができたりするようになりました。これを続けた結果、少しずつ客層も若くなって、感度が高い人が集まるようになってきました。建物だけを用意して、後はテナントさん任せではなく、このような形で不動産の価値を上げていきたいという想いがあります。勿論、『ひづめゆ』でもこのような挑戦を続けていけたらと思っています。


S:紫波町はポートランドみたいで格好良いですね。産業育成を大切にしている。企業誘致ということも考えられますが、地方は地場産業を大切にして欲しいと思っています。

H:私たち『くらしすた不動産』も建物を扱っているから、そのような話題にはよく触れます。そうした中、エネルギーは最たるもので、ほとんど外から購入するものが前提ですが、異なる方法もあるのではないかと思います。使うエネルギーを減らして、それだけでも地域に残るお金があるかもしれない。

S:そのような意味では、地方でできることとして、地域のものに付加価値を付けることができるのが醸造なのだと思います。例えば、生食ではなかなか使えないものに価値をプラスすることができる。さらに外から人が来て飲んでもらえたら循環しますね。


O:本当にそうですね。岩手や東北という地域にブルワリーやサイダリーが増えていって欲しいと思います。

S:最近ブルワリーが近くにできても競合にはならずに、その地域の集客に繋がるようになりました。

H:集積の効果は大きいですよね。やはり一箇所だけでなく幾つかあると、そのエリアに人が集まりやすい。

S:共同イベントも組みやすくなるので面白いなと思います。日本酒でも同じように同業者で繋がれたらと思うのですがなかなか難しい。この間も、知り合いの酒蔵が一つなくなってスーパーマーケットになってしまいました。古い建築物を維持するのは結構大変ですからね。毎年修繕費で建物一軒建つのではないかと思うくらいです 笑。それでも私たちは古くから伝わる蔵を活かし、これからも醸造を楽しんでいきます。