毎回サイダーやクラフトビールに関わるゲストを迎えて、日本における黎明期とも言える「サイダーカルチャーの現在地と未来」を探るインタビュー・プロジェクト。第四弾は、青森県弘前市と青森市でブルワリー/ブルーパブを営む『Be Easy Brewing』代表のギャレス・バーンズさんをお迎えして、ビールづくりにおけるクラフトマンシップ、町おこしの在り方、好きなものをより探究することで構築される深い愛情と造詣など、幅広くお話をお聞きしました。

G : ギャレス・バーンズ (Be Easy Brewing 代表)
O : 及川 貴史 (サイダーメイカー/Green Neighbors Hard Cider)



青森から本物のクラフトビールを届けたい
すべて DIY で作った『Be Easy Brewing』

O : 本格的にインタビューを始める前に、僕とギャレスさんが初めて会った時のことについて尋ねたいことがあります。僕が盛岡でクラフトビール専門店『HOPPERS』を経営していた時、ギャレスさんの造ったビールを注文しました。注文したビールが届くのを楽しみにしていたら、ある日、突然、ギャレスさん本人が重いビールの樽を2本両手に持って、僕のお店に現れました。青森と岩手、確かに隣の県で近いと言えば近いですが、僕はてっきりどこかの配送会社を使って配達されると思っていたのです。その時は本当に驚きました。覚えているかわかりませんが、弘前から盛岡までどうしてわざわざ届けようと思ったのですか?

G : そう、そんなことがあったね 笑。ビールの樽を持ってバスに乗ったら、「この外人何?」という顔で乗客に見られたのを思い出したよ。弘前からバスに乗って盛岡まで届けたのは、注文を貰って単純に嬉しかったから。あの時はまだ『Be Easy Brewing』も駆け出しで、営業もたいして出来ていない状態だったので尚更ね。僕もお店を経営して初めてわかったことだけれども、名も知れぬ、新しいブランドを仕入れるのはなかなか難しいからね。今では卸先が多いから、さすがに一軒ずつ直接届けに行くのは難しいけれども、可能だったら僕本人が届けたい、という気持ちは変わっていないよ。

O : ずいぶん懐かしいですね。ここでギャレスさんについてあらためてお訊きしたいのですが、来日したきっかけは何ですか?

G : 米国から三沢基地の軍人として来日したのがきっかけだね。2005年の夏、19歳の時かな。その年の秋に中国に行って、また戻ることになって、あまり日本を見ることができなかったから、もう少し日本にいたかった。だから4年間軍人を勤め上げて卒業したら、日本で英会話教師として1年間くらい働こうと思っていたんだ。それから米国に帰国して、また来日して、三味線をやるようになって、少しずつTV出演もするようになった。そして、2011年には英会話教室を開いて、どんどん日本の滞在期間が長くなっていった。

O : その間、クラフトビールは飲んでいましたか?

G : まだその頃の青森はクラフトビールの認知度が低かったので、東京に行って楽しんでいた。東京でも『麦酒倶楽部 POPEYE』とか、他にも2、3軒くらいしかなかった時代だね。

O : クラフトビールを造ることになったきっかけは何だったのですか?

G : 町おこしなど補助金を得る形で、クラフトビールを理解していない商工会議所や市役所が集まって、綺麗な工場でビールを造って、美味しくないというのがすごく悲しいと思ったんだ。青森を代表するクラフトビールを、本当のコアなファンが飲んだ時、やっぱり青森のものは駄目だと言われるのは悲しいよね? 傲慢かもしれないけれども、それなら自分が作れば良いと思うようになったんだ。

O : どこでビール造りを学びましたか?

G : 独学でビール造りを学んだし、工場も DIY で作ったよ。大変だったのは、なかなか資金を貸してくれるところが見つからなかったこと。役所や銀行に相談したけれども、難しいと言われたんだ。まだ全国的にクラフトビールも浸透していない状況だったし、きっと想像もつかなかったのだと思う。個人でビール造りなんてできる訳ないと。

O : 出資はなかなか受けれなかったということですか?

G : うん、そうだね。だから設備を安く抑えないと始められなかった。もちろん、ビール造りは資金があればより良い品質のものができるけれども、最初の僕たちの設備は中国製の約30万円くらいのタンク。それで4年間ビールを造ったけれども、本当によくこの状況でコンペティションで賞を受賞したと思うよ 笑。200万円くらいのドイツ製タンクで造ると、驚くほど味が違うからね。しかし、補助金も出なかったし、誰からも応援されていなかったから仕方がないことだった。

O : 誰かアドバイスを貰える人はいなかったのですか?

G : 最初、アドバイスを求めて、『BET』のマルクスのところに行ったのだけれども、設備投資に約4000万くらいは必要だ言われた。「初期投資で数百万は厳しいよ」と。その助言は本当に正しかったと今では思う。それでも始めたかったから、『麦酒倶楽部 POPEYE』の青木さんに聞いてみた。青木さんはずっとクラフトビールに携わってきた人だから、僕のやりたいことをよく理解してくれて、「僕が造ったらきっと上手くいく」と応援してくれたんだ。それから、その当時、『OUTSIDER Brewing』に在籍していた丹羽さんを紹介してもらい、ビール造りに必要な設備を安く購入できるルートやノウハウを教えてもらった。

O : 『Be Easy Brewing』を建てる場所はすぐ決まりましたか?

G : 弘前に、もともとはバブル時代の事務所だった建物が十数年間ほど空いていて、そこに決めたんだ。すべて DIY で1階を工場、2階を『ギャレスのアジト』というバー/レストランにした。工場は、Youtube を見て、自分たちで作ったから、約2年間くらいかかったかな。


追求してきたことはビールの美味しさ
美味しくなかったら評判は一瞬で終わる

O : 最終的に資金調達はどうしたのですか?

G : 知人に銀行を紹介して貰って、最終的にはそこから借入をしたよ。とても大変だったね 笑。1年間くらい根気よく自分たちの想いやクラフトビールのことを説明したけれども、なかなか理解してもらえなかったから、最終的には、市販されているビールの中に自分たちで造ったビールを入れて飲み比べをしてもらったんだ。「もっと良い設備を整えることができたら更に品質を高められるから」と説得してね。実際、飲んでもらったら、「美味しい」と言ってくれて、ようやく借入が決まったんだよ。

O : 最終的な決め手は、やっぱり味ですか?

G : そうだね 笑。なぜ『Be Easy Brewing』がクラフトビールファンに支持されているかと問われたら、やはりビールの美味しさだと僕は答える。常にビールを美味しくするにはどうするか試行錯誤してきたから、ここまできたという感覚があるんだ。僕は地元や全国のTVに出演しているけれども、ビール自体の味が美味しくなければ、その評判は一瞬で終わるよ。

O : 『Be Easy Brewing』を立ち上げてから一気に全国区になった印象がありますが、今年で何年目になりますか? 

G : 今年の10月25日で5周年になるね。正直、立ち上げた当初は全く想定していなかったのだけれども、最初の半年間で全国的に広がって、1、2年で最初の設備では、ビールを造るのが間に合わなくなった。もちろん、嬉しい悩みだけどね 笑。

O : 初めから様々なスタイルのビールを造っていましたが、副原料を入れることでネガティブな反応はありましたか?

G : どこまでお客さんの声を聞けばいいのか悩むところだね。ウェブなどでレビューを書かれることはあるけれども、書いた人がどこまで深く味を理解しているのか僕にはわからない。もちろん、フィードバックとしてその声を大切にしたいけれども、最終的に責任を取るのは『Be Easy Brewing』だし、僕自身も真剣に勉強しているから自信を持って造っている。そういう意味では自分に一番厳しいと思っているんだ。周りが美味しいと言っても、僕が美味しいと思わなければ納得しないから。

O : 『Be Easy Brewing』には様々なスタイルのビールがありますが、最終的にどのようにしてレシピを決めていますか?

G : 最初は本から歴史を学ぶようにしている。それから米国のビアスタイル・ガイドラインを読む。このスタイルは、このような見た目、香り、味がするのかと。それらの知識をパズルみたいに集めてレシピを作ってみるんだ。もしも、その中でこれは違うと思うようなピースがあれば、他のものに替えてみたり、試行錯誤をする。最終的に、綺麗な「サークル=円」になるようにバランスを整えて作っていくイメージかな。


頑なに林檎を使用したサイダーを造らなかった理由

O : 『Be Easy Brewing』でリリースしているサイダーはどういうイメージで造りましたか?

G : みんなが知っている「林檎ジュース」は甘くて美味しい。それは「林檎ジュース」自体に糖分があるから。みんなが美味しいと言っているのは甘味のことなんだ。けれども、サイダーの場合は発酵させるから甘味がなくなる。それをイメージして、そこに何を足すと美味しくなるかを膨らませていくようにしている。林檎の香りをキープしながらバランスを整える。単純にホップを大量に入れて発酵させたら、もちろん、それはサイダーになるけれども、そのような単純なことではなくて、僕はもっと林檎とホップの融合、どちらの良さも引き立たせるようにしたいと思って造っているんだ。

O : 設立からしばらくの間は「サイダーは造らない」と言っていたと思いますが、どうして造る気になったのですか?

G : 最初はわざと造らなかったんだよ。というのも、青森は林檎の生産が多く、林檎は町おこしの手段として使われているからね。『Be Easy Brewing』は、そのようなイメージを付けたくなかった。つまり町が推しています、というような枠組みではなく、単純に味の良さで勝負したかった。それから、お土産用ではなく、日常的に飲んで欲しかったということもある。造る気になったのは、『Be Easy Brewing』がある程度全国で支持されるようになって、周りから「どうして林檎で造らないの?」と尋ねられるようになったからだね。自慢の腕を見せたくなったのかな 笑。

O :『Be Easy Brewing』が全国的に注目を集めて、周りに反応はありましたか?

G : 全然変わらないよ 笑。とても静かだね。もちろん、地元で知られるようになってお客さんも来店してくれるようになったけれども、町が推してくれるというようなことはない。

O : 「あおもりエール」を始めたのはそうしたことも関係していますか?

G : そうだね。「あおもりエール」は青森の飲食店でしか飲めないクラフトビールというコンセプトで造ったものなんだ。僕たちのバー/レストランだけでなく、青森にはたくさん良いところがあるから、各地に置いてもらって楽しんでもらおうと思っている。飲みやすい味にしているから、まだクラフトビールを知らないという人への入り口という立ち位置だね。名前にも「あおもり」と入れて、青森でもしっかりとした品質のクラフトビールがあるよ、と伝えたかったんだよ。

O : 『Be Easy Farm』を始めたと聞きましたが、これはどういう活動ですか?

G : 結局、ビール造りは地球環境という観点で見ればあまり良いことではない。大量の水を使うし、発送したり、何かを取り寄せると、運送の間に多くの排気ガスが出てしまうからね。だから、それらを少しでも削減できればと思って、自分たちの畑でトマト、ジャガイモ、タマネギ、キュウリなどの野菜を育てて、レストランで提供する料理に使おうと思ったんだ。もちろん、全部『Be Easy Farm』で賄うのは難しいから一部だけれどもね。それでも、できる範囲でやっていきたい。大きな都市だと難しいけれども、青森だと農地も安く手に入るから。


規模を大きくすることに興味はない
興味があるのは美味しい味を追求すること

O : 今後、造りたいお酒はありますか?

G : 青森の工場には 100L のタンクがあるので、実験的なことをやってみたいね。ミード (蜂蜜酒) はやる予定だよ。それが上手くいったら、ミードと林檎やミードと葡萄も良いかもしれない。あとは、林檎とラズベリーのサイダーも造ってみたい。やりたいことはいっぱいあるよ 笑。これらは第一前提として自分たちが造ってみたいということがあるけれども、農家さんの為にという意味合いもある。台風が来て、市場で売れなくなってしまった林檎を通常の価格で購入して、その農家さんの名前をつけたサイダーとか造りたいね。

O : 100Lのタンクがあると、やはり試しやすいですか?

G : そうだね。1000Lのタンクだと大量に原料を購入しなければいけないから、どうしてもリスクが出てきてしまう。だから、青森工場の100Lのタンクで研究や実験をして、その成果を弘前の1000Lタンクで行うようにしたいね。

O : 今後、工場を拡大していく予定はありますか?

G : 工場を大きくして、大量に早く造るということには興味がないんだ。同じ資金をかけるなら、この規模感でより良い設備を整えて、今よりも高い品質のものを造りたい。『Be Easy Brewing』をスタートした時から追求しているのは、美味しい味をどうやって造るかだけだから。全国のコンビニで買えるとかそういう拡大路線には全く興味がない。規模を大きくすると、本来やりたくないこともやらなければいけないからね。一番良いのは、弘前と青森の店舗でしか飲めなくて、それでもお客さんが来てくれるのが理想的だよ。

O : それでも資金は必要ではないですか?

G : 規模が大きくなっても、お金の出入りが変わるだけで、僕の場合はやりたいことに変化はないと思う。預金残高にどのくらい残っているかは興味ないんだ。もちろん、設備を整えるにはお金が必要だから、あることに越したことはないのだけれども。僕は普段から軽トラに乗っているし、高い服もない。そんなことよりも自由であること。好きなことをして、好きなビールを造ることに僕は興味がある。

O : ギャレスさんを突き動かしているものは一体何ですか? 青森が好きという気持ち?

G : 青森は好きだね。青森には、四つの季節があるし、温泉もあるし、秋になれば紅葉も美しい。雪は多く降るけれども、その分、春になって咲く桜は本当に美しい。それから、津軽弁も素晴らしい言葉だと思う。でも青森はもったいないと思うよ。町おこしと言っているけれども、本当に素晴らしいものを外に向けて推すのが下手だと思う。一本の古い道や、そこに立つ寂れた建物の風情とか、そのような歴史が本来は求められていると僕は思うんだよね。

O : 最後の質問です。ギャレスさんとお話しをしているといつもポジティブなエネルギーをもらいます。一体このエネルギーはどこから生まれるのですか? 子どもの頃の両親の教えや育った環境なのでしょうか?

G : 何だろう、わからないな 笑。子どもの頃は、全然勉強せずにゲームしかやってなかった。そこから色々覚えてしまって、ぎりぎりで高校を卒業した 笑。大学にも入学できなかったから、軍人になる道を進んだのだけれども、親は僕に自由にやらせてくれたね。「ああしろ、こうしろ」というように命令された記憶はない。社会的に悪いことも「やっても良いけれども、それ相応の罰を受けることになるから、それでも良いならやりなさい」というようなことを言われた。YES、NOではなく、「あなた自身が考えて行動しなさい。そして、責任はあなたが取りなさい」と。こうした教えが今の行動方針になっているのかもしれないね 笑。