毎回サイダーやクラフトビールに関わるゲストを迎えて、日本における黎明期とも言える「サイダーカルチャーの現在地と未来」を探るインタビュー・プロジェクト。第五弾は、岩手県紫波町でサイダリーを営む『Shiwa Cidery』のハワード・ドナルド・ジェファーソンさんとミカ・ワレニウスさんをお迎えして、ホップを使ったサイダー造りや町への想いなど、お話をお聞きしました。

H : ハワード・ドナルド・ジェファーソン (サイダーメイカー/Shiwa Cidery )
M : ミカ・ワレニウス (サイダーメイカー/Shiwa Cidery)
O : 及川 貴史 (サイダーメイカー/Green Neighbors Hard Cider)
T : 橘 史子 (サイダーメイカー / Green Neighbors Hard Cider)



岩手県紫波町で持続可能な事業として
立ち上げられた『Shiwa Cidery』

O : お二人が来日したきっかけは何ですか?

H : 来日する以前、私と妻は一緒にニューヨークに住んでいましたが、2006年頃、彼女の故郷である岩手県紫波町に引っ越しをしました。それからずっとこの場所で暮らし続けてきたので、紫波町は私にとって第二の故郷と言える場所です。

M : 私が初めて来日したのは大学生の頃で、留学生として一年間滞在しました。その後、祖国に帰りましたが、また日本に戻りたいと思い、ALT (外国語指導助手)として岩手県花巻市に赴任することになりました。紫波町に来たのは、花巻市での契約が切れる頃に、ちょうど欠員が出ていたからです。

O : お二人が出会ったのはどちらですか?

H : 2011、2012年くらいの頃、私もミカさんと同じ ALT の仕事をしていて、紫波町の役場で出会いました。席が偶然、隣だったのです。

O : それからお二人がサイダー造りに向かっていくきっかけは何だったのでしょうか?

H : そもそも私と妻はニューヨークにいた時からサイダーが大好きでした。紫波町で暮らし始めてわかったことですが、ここでは多くの美味しい林檎があるにも関わらず誰もサイダーを造る人がいない。それならば、自分でやろうと思うようになりました。その決心が固まってから、役場のお仕事は卒業して、自分の英会話教室を開きました。自由に動ける時間を増やして、サイダリーを作る為の企画書やリサーチをする時間を確保したかったのです。役場を卒業してからしばらくミカさんとは会わなかったのですが、紫波町にあるオガールの年に1度の感謝祭「オガール祭り」で再会して、彼がワイン、もしくはビールの造り手になる計画を立てていることを知りました。そこで私は、密かにあたためていたサイダリー設立の話を持ちかけたのです。

M : その時、私はちょうど ALT を10年くらいやっていたので、そろそろ違う方向へ、製造に携わる仕事へ進みたいという気持ちが強くなっていました。私の実家は米国のシアトルなのですが、地域的にワインやビール造りが盛んで、その影響を受けたのだと思います。でも、サイダー造りというのは全く念頭にありませんでした。

O : 『Shiwa Cidery』を立ち上げるまで結構時間がかかったのですか?

M : そうですね。ALTを続けながらインターンという形でサイダー造りを学んでいたので、準備段階は長かったです。

H : 実際造り始める前の企画の段階で約6年間くらいかかりました。全て初めてのことでしたから、手探りで少しずつ進めてきたのでとても時間がかかったのです。本当にとても長い道のりでしたね 笑。

O : 準備段階では具体的にどのような動きをしていたのですか?

H : お酒造りや林檎生産が盛んな長野県に見学に行って、さまざまなメーカーにインタビューをしました。それから、紫波町で発行されるフリーペーパーの連載で、直接サイダーに関係のない企業も含めてさまざまな方々にも話を聴きました。地方でゼロから事業を立ち上げるにあたって、ビジネスがどのように成り立っているのかを知りたかったのです。

M : 私たちはサイダー造りのノウハウも知りたかったのですが、日本の市場の在り方や、販売するルート、価格設定など、ビジネスとして持続的に運営するプロセスを学びたかったのです。


美味しい林檎があるからこそ
美味しいサイダーが造れる

O : 『Shiwa Cidery』ではホップを使用していますが、どのようなこだわりがありますか?

H : 日本国内の林檎で造ったアルコールでは、甘い味が主流なシードルが有名です。それに対して、私たち『Shiwa Cidery』では、苦味を感じるようなお酒を提供したいと思い、米国のサイダーでよく使われているホップを使用しています。クラフトビールのような文化的な文脈もしっかり入れたいという想いもあります。

O : ホップ以外で使用してみたいものはありますか?

M : 色々ありますね。この間は、ミードを造った時にきゅうりや生姜を試しました。サードシーズンでは色々なものを混ぜてみる予定です。

O : 実際、サイダーを造り始めたのはいつですか?

M : 2020年4月からです。林檎の保管が難しい時期でした。ファーストシーズンのスタートが4月だったので、秋になってセカンドシーズンがすぐ始まってしまいました。

O : ファーストシーズンではどのくらい造ることができたのですか?

M : リリースする前年の秋に購入した林檎を使ったのですが、免許がなかなかおりなくて、駄目になった林檎が結構でてしまいました。だから、最終的には1万本くらいですかね。セカンドシーズンは倍の2万本くらい造ることができました。

O : 思い描いている味には近づいていますか?

M : ファーストシーズンはなかなか難しかったのですが、セカンドシーズンでは、設備の慣れやサイダー作りへの理解が深まって、理想の味に少しずつ近づいている感覚があります。少なくともセカンドシーズンは自信を持って販売していますね。

O : サイダーを造る上で大切にしていることは何ですか?

H : やはり原料となる林檎を活かすということです。美味しい林檎があるからこそ、美味しいサイダーが造れるのだと思っています。

O : 『Shiwa Cidery』の瓶のラベルには、林檎の生産地のイラストが描かれていますが、その土地をリスペクトして、そのような試みをしているのでしょうか?

H : はい、このプロジェクトを通じて、外の人が紫波町を知るきっかけになったり、その良さが伝えられたらと思っています。ネーミングも生産地の名前からとっていて、例えば、長岡の林檎だったら「LONG HILL」のようにプロダクト名にしています。そのラベルでは、長岡の土地をイメージして、長い丘と、優しい熊のイメージを描きました。他の土地の熊は人を襲ったり、農地を荒らしたり、厳しいですからね 笑。

O : イラストやラベルのデザインは誰が行なっているのですか?

M : 全て私たちが DIY で、私とハワードさんが交代で作っています。

T : 紫波町の地域ごとの林檎を使用して、サイダーを造ろうと思ったアイデアは初めから決まっていたのですか?

H : はい、最初から決めていました。紫波町の林檎という大きな括りではなく、より小さな地域に注目を集めることが町にとっても良いだろうと思ったのです。地域によってそれぞれの特徴もありますし、その土地の人もフィーチャーされることでより喜びを感じてくれると考えました。


米国のサイダー造りと紫波町の林檎の融合
自由な気風を持ったミックスカルチャー

O : 紫波町でのサイダーの認知度は決して高くなかったと思いますが、PRで苦労はされましたか?

H : スタートしたばかりの頃は、そもそもサイダーがお酒ではなくジュースだと思われていました。それでも、地道にフリーペーパーやSNSでの発信をしてきましたので、少しずつサイダーやその背景に流れるカルチャーへの理解も進んできていると感じています。今では、紫波町や盛岡市だけでなく、東京、遠くは沖縄まで注文があるので、少しずつ浸透してきているのではないでしょうか。

M : シードルという言葉をあまり使わないようにしていますが、林檎のお酒であることを理解してもらう為に、シードルという言葉を使って説明することもあります。これからはサイダーという言葉を積極的に使って、その背景に流れるカルチャーも知ってもらえるように努力していこうと思っています。

O : これから挑戦したいことはありますか?

H : まずはスタンダードを確立させるということが目標ですね。それから、もう少し量の少ない、特別な商品も造ってみたいと思っています。例えばパンプキンやジンジャーなどを加えた実験的なプロダクトです。また、サイダーを飲み慣れていない方々がすぐわかるように、味自体も差異をつけていきたいと思っていますし、ラベルも味ごとに明瞭にしていきたい。サードシーズンの課題ですね。

O : 最後にサイダーファンに向けてメッセージをお願いできますか?

M : 『Shiwa Cidery』はまだ生まれたばかりのサイダリーなので、これから味もどんどん変わっていくと思います。その変化を一緒に楽しんで頂けたら嬉しいです。

H : 私の第一の故郷である米国のサイダー造りと、第二の故郷である紫波町の林檎を融合させることが夢でした。自由な気風を持つサイダーカルチャーの特徴の一つでもある、ミックスカルチャーを活かした、米国のノウハウと紫波町の林檎で造った美味しいサイダーをぜひ楽しんで欲しいです。