毎回サイダーに関わるゲストを迎えて、日本における黎明期とも言える「サイダーカルチャーの現在地と未来」を探るインタビュー・プロジェクト。第二弾は、東京 狛江にブルワリー/ブルーパブを構える『Izumi Brewery』の和泉 俊介さんを迎え、立ち上げの経緯や大切にしていること、未来のビジョンまで幅広くお話をお聞きしました。

I : 和泉 俊介 (Izumi Brewery Owner)
O : 及川 貴史 (サイダーメイカー/Green Neighbors Hard Cider)



和泉ブルワリー立ち上げの経緯
運営する上で大切にしていること

O :『和泉ブルワリー』を立ち上げた経緯を教えてください。

I : 2001年に大学院を卒業して一般的な企業に就職しました。それから10年ほど会社員をしていましたが、35、36歳の頃に「このまま会社員を続けていいのか」と思い始めるようになりました。いわゆるミドルエイジ・クライシスですね。その時、やりたいと思ったのがビールでした。大学時代に初めてクラフトビールに出会って非常に感激したことや、ビアフェスのお手伝いをした楽しい記憶が蘇ってきたのです。
正直に言うと、ビール業界への転職も考えたのですが、求めていた職に出会うことができませんでした。ビアバーの店長という選択肢もありましたが、面接を受けているうちに「自分は造りたい」という意思に気付いてしまったのです。

O :「造りたい」という気持ちに気付いて、その後、どうされたのですか?

I : ビアバーの店長の面接を受けている時、「実は自分はビールを造りたいのだ」という想いを面接官にぶつけてみました。そうしたら、海外で勉強した方が良いという助言をもらい、その言葉を信じて、2015年に渡米することにしました。

O :随分思い切りましたね。お仕事は継続している状態ですよね?

I : そうです。有給休暇33連休で、土日を含めて1ヶ月半もの間、お休みを貰って渡米したのです。その時、相談した上司がとても理解のある方で、そのくらいの期間だったら有給でも行けるのではないか、と背中を押してくれました。そして、「急に休まれたら会社も困ってしまうので、上司が変わるたびに、事前にいつ行くのかをしっかり報告をするべきだ」というアドバイスももらいました。結局、渡米するまで3人上司が変わったのですが、本当に心が広い方々で、遂に2015年に実現することができました。

O :和泉さんが渡米されたのが40歳の時だとお聴きしました。僕も『Green Neighbors Hard Cider』での挑戦が40歳半ばからで、すごく時間が限られている感覚があります。和泉さんは40歳で新人として日本に戻ってきて、何をショートカットしたのでしょうか?

I : 私の場合、そもそも38歳で行こうと決意して、40歳で実現したというのが相当前倒しです。何故かと言うと「やりたい」ということを家族に相談した時、娘が小学校から中学校に上がるくらいの時期で、妻に「リスクがあることだから、娘が成人するのを待って、50歳ぐらいからスタートした方がいいのではないか」と言われました。確かにリスクを考えたら、妻の言う通りなのですが、ビール造りは体力のいる仕事ですし、何より10年経ったらやりたいという気持ちが萎えてしまっているのではないかと思いました。結局、家族に了承してもらい始めることになるのですが、まずその10年間がショートカットされたわけです。
また、渡米して学んだということも結果的にショートカットになったと思います。やはり、クラフトビールは米国の方が進んでいる点が多いので、日本では学べないかもしれないことを吸収することができたと思っています。技術的なことを直接学んだだけでなく、レシピを日本でそのまま使用しても良いと言われました。そのようなビールのベースとなる部分をそのまま使用できたのは、大きなショートカットです。

O :人脈などもショートカットの一因になったのではないでしょうか?

I : はい、「一人でやらない」「仲間に頼る」という考え方もショートカットに繋がっていると思います。というのも、小規模でのビール造りは、とにかく全部一人でやってしまうというマインドになりがちですが、当然のことながら知らないことは知らないし、できないことはできないので、誰かに任せるとか、相談するということを積極的にやってきました。もちろん、一つ一つ自分で調べて動いた方が面白いのかもしれませんが、時間的に限られているということもあって、誰かに頼ることを意識してきました。

O :会社員をしながらブルワリーを運営するということについて、家庭内で何か決まり事はありますか?

I : 二つあります。一つ目はビジネスを始めるにあたり「借金をしないこと」。そして、二つ目は「会社員を続けること」。しかし、一つ目の「借金をしないこと」は破りました 笑。場所を借りて免許を取るまでの期間が一番苦しくて、どんどん貯金が減っていったのです。免許は取れないし、貯金は減っていく、という有様で、「お金を借りてもよいか」という家族会議を開きました。家族に心配と迷惑をかけているよなと思っています。




クラフトビールの世界観に近い
サイダーの世界観に惹かれて

O :狛江という場所を選んだ理由はありますか?

I : 狛江を選んだ理由の一つは、自転車でも通えるくらい家から近いことでした。二つ目は、醸造設備を置くスペースがあること。三つ目は、三面ガラス張りで、醸造設備が外からでもよく見えることです。

O : 造られたビールは『和泉ブルワリー』併設のブルーパブ『Beer Celler Tokyo』(ビアセラートーキョー)でも購入することができますが、設立当初は、ここで販売することと外販すること、どちらをメインに考えていたのでしょうか?

I : 基本的には外販することをメインに考えていました。しかし、結果的に、ビールが一番売れているのは、『Beer Celler Tokyo』です。あまり想定していなかったのですが、ここに実際来て、買ってくれる人が増えています。余談になってしまいますが、コロナで緊急事態宣言が都内で発表された昨年の春は、売上が非常に伸びました。「テイクアウト・オンリーですから、グラウラーを持参してください」とお客さんにはお伝えしていたのですが、グラウラーが飛ぶように売れて未だに破れない月額最高売上を記録しています。それ以来、グラウラーに入れて持って帰る人がだいぶ増えました。

O :2017年のオープン当時からハードサイダーは取り扱っていたのですか?

I : はい、ハードサイダーはオープン時から取り扱ってきました。2017年オープンする前に、『ファーマーズ』の青木さんと一緒にポートランドに行って、『ナットサイダー』のタップルームで飲んだのがきっかけです。正直それまではあまりサイダーの魅力を理解していなかったのですが、実際、現地で飲んでみて衝撃を受けました。『ナットサイダー』ではアメリカのビールと同じようにテイスターとして約15種類ぐらいの飲み比べができます。その種類の多さにもすべてがおいしかったことにも驚きました。クラフトビール造りに近い感覚でサイダーをデザインしていたことが印象的でしたね。そこでの出会いによって一気にサイダーに惹かれていって、その後、東京で『Beer Celler Tokyo』を始めた時、クラフトビールと同じようにサイダーが並んでいた方が幅もあるし面白いので、10タップあるうちの1タップはサイダーを入れるようにしました。

O :サイダーのラインナップも当初より広がっていますか?

I : はい、最初は米国オレゴン州を中心にした『ファーマーズ』から、サイダーの入り口として『ナットサイダー』の商品を取り扱い始めましたが、最近では、世界中のインポートサイダーを仕入れている『inCiderJapan』のサイダーも取り扱っています。それによって、より幅が広がり、林檎の種類や国によって、味が凄く変わるという事実を知りました。お客さんにもそうした違いを楽しんでもらっています。




オープンマインドで人に接することが恩返し

O :ビールを造る上で大切にしていることはありますか?

I : 『COMMONS BREWERY』という私がビールづくりを学んだブルワリーのマインドや経験を活かして、ビール造りを続けていくことです。もう少し具体的に言うと、原料であるイーストをベースに、ここからどれぐらい異なった味を探究できるのか、という挑戦です。今日、タップにつながっている7つのうちの5つは同じイーストを使っていますが、発酵条件を変えるだけでも少しずつ味は変わっていきます。もちろん、味の探究は難しいことですが、きっと永遠にやり続けるぐらい楽しい挑戦でもあります。技術的な事で言えば、温度管理、無菌操作、酸化防止をしっかりやっていくことですね。
あと、こうした仕事をしていると、学びたい人や取材したい人など色んな方が来られますが、ビールに関係することならば、よほどのことがない限り受け入れるように心掛けています。何故かと言うと、米国で私が学んだ時、関わる人すべてがオープンマインドで本当に親切だったからです。大切な技術や知識を惜しげもなく丁寧に教えてくれたり、とにかく皆さん本当に涙が出るほど良い人達で大いに助けられました。日本に戻ってきた私は直接的に彼らに恩返しすることは難しいのですが、彼らがしてくれたようにオープンマインドで人に接することが恩返しに繋がると思っています。

O :僕が和泉ブルワリーさんに惹かれている理由はきっとそうのようなマインドなのだと思います。

I : もちろん、大変なこともあるのですが、その度に米国の彼らを思い出すようにしています。

O :和泉ブルワリーさんのお客さんも、そのようなオープンマインドの方が集まってきますか?

I : クラフトビールやサイダーを飲む人たちはとても話好きということもあるかもしれませんが、私が知らないところで、お客さん同士がどんどん仲良くなっていきます。私が頼んでもいないのに、常連さんが初めて来た人に、和泉ブルワリーのお薦めを紹介してくれたり 笑。
後、外国人の方も結構来店されるのですが、そこでも輪が広がっています。一番印象に残っているのが、常連のカナダ人のお客さんから「来日して数年間あまり楽しくなくて帰国を考えていたけれども、和泉ブルワリーで知り合った人々と一緒にお酒を飲むのが楽しいから日本に居続ける事にした」と言われたことです。私はただ場所を提供しただけですが、その時はとても嬉しかったですね。




ビールの原料の中で一番好きなのが酵母
微生物が人のプラスとなる働きをすることが面白い

O :和泉ブルワリーさんの未来のビジョンを教えてください。

I : たくさんありますが、まずは会社としてしっかりすることですね 笑。働いてくれる人が幸せである為には、良いものを造って、しっかり売上を上げていくことが必須ですから。後は、いつも「地元・日本・世界」の3つを視点を持ってやっていきたいと思っています。例えば、自分のブルワリーでの経験を活かして、他のブルワリーさんの立ち上げをサポートできたらと思っています。ブルワリーが日本中にできて、少しずつ繋がっていけたら面白いですよね。

O :最終的なゴールはありますか?

I : 最終ゴールは、実はビールではなく日本酒です。私の場合、ビールの原料の中で一番好きなのが酵母で、微生物が人のプラスになる働きをすることに興味があります。そういう意味では、発酵のプロセスが一番面白いのが日本酒だと思っています。ビールは麦芽が低糖化して酵母で発酵する。日本酒は糖化と発酵が同時に起こります。麹が糖化して酵母が発酵する。この糖化と発酵が同時に起こることこそ神業だなと思います。そこに乳酸菌の増減もあって、本当に複雑なのですよね。お金も場所も何もないのですが、いつかやってみたい 笑。

O :和泉さんだったらきっといつかやりますよ、和泉酒造 笑。

I : まずやらなければいけないのは、この和泉ブルワリーを成功させることですので、完全に、私の妄想です 笑。

O :和泉さんのそのバイタリティはいったいどこから生まれて来るのでしょうか?

I : 私がまず渡米しようと思った時は「このまま会社員を続けるのか」という自問自答からスタートしました。実際、渡米した時は「いつ、どこで」お店を始めるかなど全く考えてもいません。ただ、全く英語が話せなかったので、「3年後に日本に帰って東京でビール屋をやる!」という英語だけは覚えて、口に出すようにしていました。そうでもしないと格好がつかなかったのです。けれども、口に出したことによって、結果、色んな人がサポートしてくれました。だから、バイタリティがあるというよりは、本当に小さなきっかけの一歩をどう踏み出すか、ということなのかもしれません。感覚的にはエンジンを吹かす時は、少しのエネルギーだけで良いと思っています。
確かに年齢のことはあります。正直歳を取れば取るほど、体力的にも一人でできることは限られてきますが、その代わり、人との繋がりが若い時よりも広く持てるようになります。そうした強みを活かして、そこから新しいやり方を作っていければ良いのではないでしょうか。いずれにせよ、来年の『Green Neghbors Hard Cider』のオープンを陰ながら応援しています!

O :期待に応えられるよう頑張ります。ありがとうございました!

Edit by Arata Sasaki (HITSFAMILY)
Photo by Yuki Ide